- 荒っぽい遊びは、体を使ってふざけ合う行動を指す言葉です。
- ふざけ合う経験には、気持ちの表し方や抑え方と結びつく面も報告されています。
- 友好的な遊びとしての結果に対し、攻撃との結びつきが目立つ集団もありました。
- 学校の先生なら遊びとけんかをすぐ見抜ける、と期待したくなるかもしれません。
学校で蹴りを真似してふざける子ども|じゃれ合いとけんかの研究
11% という割合が、小学生などの休み時間を観察した Pellegrini(1989)に出てきます。観察された遊びのうち、組み合ったり追いかけ合ったりする荒っぽい遊びが占めた割合です。学校で蹴りを真似してふざける子どもを見た親が知りたいのは、それが遊びなのか、本物のけんかなのかという境目です。見分けるには動きの激しさだけで決めず、互いの友達関係と、弱い相手に偏っていないかを確かめることが出発点になります。
校庭で友達の股の間を狙い、金的への蹴りを真似して笑い合っている場面を考えてみます。習った空手を遊びに持ち出したのかと気になりますが、武道の技の真似そのものを調べた研究はなく、以下で扱うのは一般の子どもの荒っぽい遊びの観察や学校の環境を変えた試験です。遊びという呼び名で許容はしません。技を外で使わない決まりの教え方を確かめることと、相手との関係を知ることを並行して考えます。
子どものじゃれ合いとけんかを校庭で観察すると
荒っぽい遊びは、体を使ってふざけ合う行動を指す言葉です。Humphreys(1987)は 7 歳、9 歳、11 歳の子どもを校庭で観察し、それが観察時間の約 10% を占めたと報告しています。友好的な文脈で起き、相手には互いに好きな子が選ばれることが多かったという結果でした。
ただし年齢を比べると、同じように見える遊びの相手選びにも違いがありました。Humphreys(1987)では、11 歳になると力関係が相手を選ぶことに関わり始めていました。著者は、幼い子では親しさに関わる働きがあり、年齢が上がると優劣や戦う技能にも関わるという見方を示しています。その場での動機が攻撃的でなくても、関係の中に力の差が入り込む点が注目されます。
Pellegrini(1989)が観察したのは、幼稚園年長と小学 2 年、4 年の休み時間です。荒っぽい遊びに対して、本物の攻撃は観察した行動の 0.3% と少なく、男子では遊びと社会的な能力の指標との間に正の関連がありました。ここでいう関連とは、遊びの多さと能力の指標の高さが一緒に見られたことです。遊びと攻撃を区別して行動を記録した点が、この観察の特徴です。
親がその結果から取り出せるのは、友達との関係に目を向けるという視点です。単に「いつも遊ぶ子」という説明を聞くだけで終えず、互いに好きな友達なのかという点を本人に尋ねる形が考えられます。観察された集団では親しさと結びついていた一方、年齢の高い子には力関係も関わっていました。親しさと力の偏りを合わせて見ることで、動作の名前だけを聞いたときよりも、その場面を詳しく捉えられます。
感情を調整する力とのつながりを追った研究
ふざけ合う経験には、気持ちの表し方や抑え方と結びつく面も報告されています。Lindsey(2013)は、未就学児 122 人を 2 年追い、遊びの観察と後の感情に関する能力を調べました。対象は男子 57 人、女子 65 人で、遊びの種類と感情の表現や調整との関係を見ています。ここでの感情の調整とは、気持ちの出し方や強さを扱う能力のことです。
Lindsey(2013)では、観察された荒っぽい遊びの割合が、1 年後の感情の表し方や調整を予測しました。ある時点で遊びの多い子に、後の評価でも一定の傾向が見られたという順序です。遊びを先に観察し、時間を置いて感情に関わる能力を評価したため、遊んでいる最中だけを捉えた結果よりも時間の広がりがあります。学校で蹴りを真似している瞬間を見る親の疑問に対しては、遊びの背景にある発達を考える材料になります。
この研究では、遊びを増やすよう割り当てた子と、増やさなかった子を比べてはいません。普段の遊び方を観察し、その後の能力とのつながりを調べています。また、感情の評価には母親の見方が含まれ、関連の現れ方には性差がありました。観察者が数えた遊びと、母親が捉えた感情の様子という、異なる角度の情報を結びつけた研究です。
気持ちを扱う能力とのつながりが見えたことは、荒っぽい遊びを発達の一部として考える理由になります。一方で、後の評価を予測するという結果から、遊びをさせるほど能力が育つとは言えません。未就学児の生活の中で何が一緒に起きていたかという読み方にとどめ、次に見る攻撃との関連も合わせて位置づけます。
力の偏った関係と攻撃が重なった観察
友好的な遊びとしての結果に対し、攻撃との結びつきが目立つ集団もありました。Pellegrini(1994)は、思春期の初めの男子について、仲間からどのように受け入れられているかと校庭の荒っぽい遊びを調べています。周囲に拒まれた子と平均的な立場の子は、人気のある子より荒い遊びが多く見られました。そのうち周囲に拒まれた子では、遊びが攻撃と結びつき、自分より弱い相手を選んでいました。
この結果を読む際には、遊びの量だけでなく、相手の選び方まで観察している点が重要です。荒い遊びが多いという共通点の中でも、仲間との関係によって攻撃との結びつき方が異なっていました。したがって、遊ぶ量を聞くだけよりも、誰を相手にしているのかを確かめる方が研究の着眼点に沿っています。周囲からの評価を子どもの性格の決めつけに使うのでなく、関係が偏っている可能性を考える材料にします。
幼い子についても、良い方向の関連ばかりではありません。Veiga(2020)は 4〜6 歳の未就学児 90 人の校庭での様子を撮影し、家庭では親にも質問しました。荒い遊びが多いことは、感情の調整のよさとは結びつかず、校庭では身体的な攻撃の多さと関連していました。Lindsey(2013)の後の能力を予測した結果とは、異なる方向を示しています。
Veiga(2020)の調査は、遊びと攻撃を同じ時期に捉えています。遊びが先にあって攻撃が増えた順序を追った設計ではなく、もともと攻撃の多い子が荒い遊びを好んだ可能性も残ります。感情の調整という似たテーマでも、後の状態まで追うか、今の状態を比べるかで見ている関係が違います。自分より弱い子ばかりを相手にしていると気になるときは、発達によい遊びだという説明を先に置かず、相手の偏りを確かめる方向で考えます。
教師でも迷う境目と、観察で捉えた違い
学校の先生なら遊びとけんかをすぐ見抜ける、と期待したくなるかもしれません。Schäfer(1996)は、小学校の教師 30 人に質問紙で尋ね、さらに教師と 5〜7 歳の子ども 20 人に映像を見せて判定を調べました。教師は約 3 分の 1 の場面で見分けにくいと答え、遊びの約 3 分の 1 が本物のけんかに変わると考えていました。どちらも教師がどう捉えているかを聞いた数字です。
映像での判定では、教師と子どもの判断はおおむね一致していました。Schäfer(1996)の結果には、日常での見分けへの迷いと、同じ映像を見たときの判断の一致が併存しています。実際の場面で迷うことと、映像を見ても判断が食い違うことは別の問題です。遊びがけんかへ移った件数を追う調査とも目的が異なり、この研究が主に捉えたのは見ている側の認識でした。
ここまでの観察に、学校環境を変えた試験と武道についての論考を加えると、調べ方の幅が見えてきます。次の表は、それぞれがどの年代を、どこで、どのように扱ったかと結果の向きを並べたものです。
| 研究 | 対象の年齢や学年 | 場所と調べ方 | 結果の向き |
|---|---|---|---|
| Humphreys(1987) | 7 歳、9 歳、11 歳 | 校庭の行動観察 | 友好的な文脈で多いが、11 歳では力関係も相手選びに関与 |
| Pellegrini(1989) | 幼稚園年長、小学 2 年、4 年 | 校庭の休み時間の観察 | 攻撃は少なく、男子では社会的な能力の指標と正の関連 |
| Lindsey(2013) | 未就学児 | 遊びの観察と感情の能力の追跡 | 後の感情の表現と調整を予測し、性差もある |
| Pellegrini(1994) | 思春期の初めの男子 | 校庭で仲間関係と行動を観察 | 周囲に拒まれた子では攻撃と関連し、弱い相手を選ぶ |
| Veiga(2020) | 4〜6 歳 | 校庭で撮影し、親にも質問 | 感情の調整のよさと関連せず、身体的攻撃の多さと関連 |
| Schäfer(1996) | 教師と 5〜7 歳の子ども | 教師への質問紙と映像判定 | 教師は見分けに迷うと回答し、映像の判断は子どもとおおむね一致 |
| Farmer(2017) | 小学生 | 学校を無作為に分け、遊びの環境を変更 | 楽しさと押される・突かれる経験が増え、教師への報告が減る |
| Blomqvist Mickelsson(2021) | 年齢別の対象者を置かない論考 | 武道の実践の枠組みを提案 | 自制や順番の交代を学ぶ可能性と、度を越す可能性を論じる |
遊びの規則を減らした学校で起きたこと
個々の子を観察する方法とは別に、学校の環境を変えた研究があります。Farmer(2017)は、小学校 16 校を無作為に分け、一方の学校で規則を減らし、荒っぽい遊びなどをする機会を増やして 2 年比べました。調査には子ども 840 人、親 635 人、教師 90 人が関わっています。子どもだけに尋ねるのではなく、親と教師からの報告も集めた試験です。
Farmer(2017)では、環境を変えた学校で楽しいと答える子が増えた一方、押されたり突かれたりしたという報告も増えました。子どもや親から報告された悪い結果は少なかったものの、押す・突くことの増加は例外として挙げられています。楽しさの変化だけを取り上げると、この試験の結果を片側しか見ないことになります。同じ環境の変更に、望ましい経験と望ましくない経験の両方が伴っていました。
さらに、教師に言う子は減っていました。報告が少なくなったことを成長や自制の表れと評価するよりも、押された経験の増加と並べて読む方が、試験で起きた変化を保てます。子ども自身がどう感じたか、何を経験したか、それを教師に伝えたかは、それぞれ異なる結果として測られています。報告の減少だけで遊びの環境が良くなったと判断する根拠は、この並びからは得られません。
学校を無作為に分けた点は、もともとの子どもの性質だけを比べる観察とは違います。しかし変更したのは規則や遊びの機会を含む学校環境であり、荒っぽい遊びだけを増やした効果を取り出す設計ではありません。主な情報は質問紙から集められ、子どもの経験や受け止め方を通して変化を見ています。学校の楽しさを考えるときにも、力を受ける側の経験を同じ重さで扱うという視点が残ります。
武道を習う子の、道場の外での決まりを聞く
Blomqvist Mickelsson(2021)は、武道の場を管理された荒っぽい遊びとして捉える考え方を示しました。指導者のいる場で、合意のある組み合いを通じて自制や順番の交代を学べるという主張です。子どもを調査して変化を測った論文ではなく、実践をどう組み立てるかという枠組みの提案に当たります。著者は同時に、遊びが度を越すこともあると述べています。
この考え方の中心は、動作そのものより、合意や管理のある場に置かれています。順番を交代することも、自分の力を抑えることも、相手の存在を前提とした実践の要素として論じられています。学校で技を真似したという話を聞いたときにも、技を覚えたことと、どの場で使うかの決まりを理解していることを、それぞれ確かめる方が論点に沿っています。武道経験があるというだけで、校庭でのふるまいの説明を終えない姿勢につながります。
家庭で確かめることは、まず相手との関係に絞れます。Humphreys(1987)が見た互いの親しさと、Pellegrini(1994)が見た弱い相手への偏りを踏まえ、いつもふざける相手は互いに好きな友達なのか、自分より弱い子ばかりなのかを聞きます。これは合格点をつけるための質問ではなく、本人の説明を関係の両面から聞くためのものです。友達だという答えがあっても、それだけで動作を許す結論には進めません。
指導者に尋ねる内容は、道場の外で技を使わない決まりをどう教えているかです。家庭で聞いた説明と指導者の教え方を照らせば、どの言葉で決まりを伝えているかを共有できます。子どもが技の名前を知っていることに話を寄せず、学校でのふざけに持ち出さないという決まりの伝え方を聞きます。
よくある質問
仲のよい友達どうしなら遊びと判断してよいか
Humphreys(1987)では、荒っぽい遊びの相手に互いに好きな子が多く選ばれていましたが、年齢が上がると力関係も関わっていました。親しさがあるという説明を受け止めつつ、自分より弱い相手に偏っていないかも聞くことで、友達関係の中身まで確かめられます。相手との親しさを、力の使い方を許してよいという判断に直結させないことが要点です。
荒っぽい遊びをすると感情を抑える力が育つのか
Lindsey(2013)では後の感情の能力を予測した一方、Veiga(2020)では感情の調整のよさと関連せず、校庭での身体的攻撃と結びついていました。幼児の観察でも結果はそろっておらず、遊びを積極的に増やすことより、本人が誰とどのような関係で遊んでいるかに目を向ける読み方になります。後の能力を追った調査と、同じ時期の行動を捉えた調査という設計の違いもあります。
空手を習っているなら自分で加減できるのか
Blomqvist Mickelsson(2021)は、管理された武道の場で自制を学べるという枠組みを提案しつつ、遊びが度を越す可能性も挙げています。学校での行動を習い事の経験だけで評価せず、道場の外で技を使わない決まりを指導者がどう教え、本人がどう理解しているかを聞くところから始めます。論文が置く合意や管理という条件にも目を向けると、稽古中と学校での場面の違いが見えてきます。
この記事の限界
測定の中心は校庭で見える行動や質問紙による評価で、未就学児、小学生、思春期の初めの男子では、遊ぶ相手や感情の能力を捉える条件が異なります。古い観察、小規模な映像判定、後の状態を追う調査、学校環境をまとめて変える試験が混在し、特定の蹴りの真似がどのように変化するかを追った結果は得られていません。
ふざけと本気の境目は、教師の迷いを尋ねた回答と映像での判定では測り方が違い、日常の場面を親が見分ける精度までは明らかになっていません。武道の枠組みが想定する自制や順番の交代が学校での技の真似にも及ぶという考えは、今回の論文では実測に裏づけられた段階に達していません。
参考文献
- Humphreys AP. Rough and tumble, friendship, and dominance in schoolchildren: Evidence for continuity and change with age. Child Dev. 1987;58(1):201.
- Pellegrini AD. Elementary school children’s rough-and-tumble play. Early Child Res Q. 1989;4(2):245-260.
- Schäfer M. Teachers’ perceptions of play fighting and real fighting in primary school. Educ Res. 1996;38(2):173-181.
- Lindsey EW. Pretend and Physical Play: Links to Preschoolers’ Affective Social Competence. Merrill Palmer Q. 2013;59(3):330-360.
- Farmer VL. Change of School Playground Environment on Bullying: A Randomized Controlled Trial. Pediatrics. 2017;139(5):e20163072.
- Blomqvist Mickelsson T. Integrating Rough-and-Tumble Play in Martial Arts: A Practitioner’s Model. Front Psychol. 2021;12:731000.
- Pellegrini AD. The Rough Play of Adolescent Boys of Differing Sociometric Status. Int J Behav Dev. 1994;17(3):525-540.
- Veiga G. Rough-and-tumble play and the regulation of aggression in preschoolers. Early Child Dev Care. 2020;192(6):980-992.
技の名前を調べた次は、組手の痛みと礼儀を稽古場で確かめる
- 向く人: 技の名前や由来を知ったうえで、型と組手で実際に体を動かしたい大人
- 向く人: けがの防ぎ方と礼儀の教え方を見てから、子どもに空手を習わせたい保護者
- 向かない人: 相手を倒す技だけを早く覚えたい人
- 向かない人: 医師から打撃や接触のある運動を止められている人
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よくある質問
仲のよい友達どうしなら遊びと判断してよいか
Humphreys(1987)では、荒っぽい遊びの相手に互いに好きな子が多く選ばれていましたが、年齢が上がると力関係も関わっていました。親しさがあるという説明を受け止めつつ、自分より弱い相手に偏っていないかも聞くことで、友達関係の中身まで確かめられます。相手との親しさを、力の使い方を許してよいという判断に直結させないことが要点です。
荒っぽい遊びをすると感情を抑える力が育つのか
Lindsey(2013)では後の感情の能力を予測した一方、Veiga(2020)では感情の調整のよさと関連せず、校庭での身体的攻撃と結びついていました。幼児の観察でも結果はそろっておらず、遊びを積極的に増やすことより、本人が誰とどのような関係で遊んでいるかに目を向ける読み方になります。後の能力を追った調査と、同じ時期の行動を捉えた調査という設計の違いもあります。
空手を習っているなら自分で加減できるのか
Blomqvist Mickelsson(2021)は、管理された武道の場で自制を学べるという枠組みを提案しつつ、遊びが度を越す可能性も挙げています。学校での行動を習い事の経験だけで評価せず、道場の外で技を使わない決まりを指導者がどう教え、本人がどう理解しているかを聞くところから始めます。論文が置く合意や管理という条件にも目を向けると、稽古中と学校での場面の違いが見えてきます。